※ これ と同じ設定のBB結末捏造小説です
三兄妹が一緒に暮らしています
ノエルとサヤが別々に存在しています



 その日ジンが仕事を終えて家に帰ったのは、空気も冷える夜更けの事だった。
 統制機構のトップが入れ換えになってから早一年が経ったというのに、目の回るような忙しさは少しも緩和される気配がない。仕事場に缶詰めにされる事丸二日、後は提出のみとなった書類の山を部下に押し付け、漸く自宅に帰ることが許される程度には多忙を極めている。
 兄は―――ラグナはもう眠ってしまっただろうか?同じ屋根の下に暮らしているのだから明日になれば嫌でも会えるのだが、眠る前に一目顔が見たいと思った。
(ベッドに潜り込んだら、怒られるかな…?)
 ちらりと脳裏を過った悪戯を一旦脇に置き、玄関の鍵を回し家の中に入る。暗闇ばかりと思われた短い廊下の先には、しかしリビングの明かりが薄らと漏れていた。
「…兄さん?」
 声を掛けても、返事は無い。最もラグナならば、ジンの気配を察知した時点で何かしらの反応を返す筈だ。
 山程のチョコレートやらプレゼントやらが詰まった紙袋を玄関に置き去りに、ジンはリビングに足を踏み入れる。そのタイミングを計ったように、壁に掛けた時計が十一時半を告げる音を一つ鳴らした。

 未だ春の気配遠い二月の十四日。ジンの誕生日も、残りあと僅かだ。

「兄さん、起きてるの?」
 果たしてそこには、ソファの上で寝息を立てている兄の姿があった。一体何時からそうしているのか、見ているこちらの首の方が痛くなりそうな体勢になっている。それで良く眠れるものだと、ジンはひっそり溜息を吐いた。
 だらりとフローリングの上に垂れた手の先には、アルコールの缶が二つ、ごろりと転がっている。その内一つは横倒しになっているが、ぶち撒けられている筈の中身は既にないようだ。
 大方、一人で酒盛りを始めたもののあっさり潰れてしまったのだろう。本人は認めたがらないけれど、ラグナは基本酒に弱い。
 部屋着のまま微睡む兄は、暖房こそ付けたままだがブランケットの一枚も掛けていなかった。幾ら気候を適切に管理されている階層都市とはいえ、四季はある。二月ともなれば、普通に寒い。
 ジンはもう一つ溜め息を溢すと、ラグナの眠るソファの前に両膝をついた。
「兄さん、起きて。このままだと、風邪ひくよ」
「んー…?」
 飲酒時の眠りは、意外にも浅いという。少し肩を揺さぶっただけで、兄は比較的すんなりと閉じていた両目を開けた。一度、二度と眠たげに瞬いたオッドアイが弟の姿を認め、柔らかく細まる。
「…おかえり、ジン」
「うん、ただいま」
 起き抜けの兄の声は掠れていて低く、そして酷く甘ったるい。ソファに転がったまま伸ばされたラグナの腕に腰を抱かれ、引き寄せられた。
 ココノエの手によってラグナに右腕が戻ってから、もうすぐ一カ月になる。まるで今までの分を取り返すようにスキンシップを図って来るようになった兄の悪癖は、一向に治まる気配がない。ごろごろと腹に懐いてくる様は、丸きり大きな子供だ。
 服と擦れて小さな音を立てる硬い髪を撫でると、回された腕の力が強くなった。流石にこれ以上は、少し苦しい。
「お酒飲んでたの?兄さん、強くないのに…」
「うるせー。テメェが遅いのがいけねぇんだろーが…」
「日付が変わる前に帰ってきたんだから、褒めて欲しいくらいだよ。ほら、着替えてくるからちょっと離して」
「んだよ、健気に待ってた兄ちゃんを邪険にする気か?」
「もう、酔っ払い…」
 やけ酒の類いで無かったらしい事は幸いだった。ジンの小言にもラグナはケタケタと笑うばかりで、気分を害する気配はない。上機嫌の兄は素直で可愛いけれど、仕事帰りのジンは着替えもしたいしシャワーも浴びたかった。
 兄の気が済むのが早いか、それとも無理矢理引き剥がしてしまう方が早いのか。対処に悩んでいると、件の酔っ払いは締まりのない表情のまま、ジンがいなかった間の出来事を報告し始めた。足りなかった生活用品を買い足しておいた事、家の裏で育てている葉物の野菜に虫がついて、半分駄目になってしまった事。そして、「サヤがな」とラグナの唇から溢れた妹の名に、ジンの手が止まる。
「サヤが、今日はいつもより長く起きてたんだ。お前におめでとうって言いたいから、頑張るって」
「…うん」
「看に来てたココノエも驚いてた。この分なら、思ったよりずっと早く起き上がれるようになれるかもだってよ」
「―――そう。…良かったね、兄さん」
 我ながら、酷く淡白な相槌だったと思う。僅かに沈んだジンの声音にへべれけになったラグナが気付く筈も無く、兄は喜色を全面に押し出したままヘラヘラと笑っているばかりだった。
 ラグナの腕が戻ったのと前後して、長い間眠り続けていたサヤも意識を取り戻している。それでも未だ一日の大半は夢の中だが、ココノエがそう言うのならば、遠くない内に自分たちと同じ生活リズムに戻れる日も来るだろう。
 ジンがサヤに一方的に抱えている蟠りは、実のところ未だに溶けていない。ぐつぐつと煮え滾るような憎しみこそ無くなったものの、今更普通の兄妹のように接するのは酷く難しかった。
 一方の兄は、相変わらず妹の事となるとその言動は優しく、柔らかくなる。宝物にするような手つきでサヤの髪を撫で、名前を呼ぶ。 
 ―――やはりラグナにとっての一番は、今も昔もサヤなのだ。
 とっくに理解し納得しているつもりでも、それを目の当たりにする度に、やはりジンの心はしくしくと痛んだ。
 兄が笑いかけてくれるのも、触れてくれるのも。抱いてくれるのだって、未だ夢と現の間を彷徨っている妹の代わり。サヤがこちらへと戻ってきてしまえば、ラグナがジンを見てくれる事も無くなってしまう。
 こうしたじゃれ合いもあと少しと思えば、兄に触れる指先がちくりと痛んだ気がした。

 サヤが元気になったら、この家を出て行こう。

 兄と、妹と、三人で暮らし始めてからずっと、ジンは一人胸の内でそう決めていた。
 自分はもう、誰かの―――兄の庇護無しでは生きて行けぬ程弱くはない。儚く稚く、守ってやらねばならぬ妹とは違う。ラグナとサヤで構成された世界に、ジンが入りこめる隙間などない。幼い頃、病気がちの妹とその看病に付きっきりだった兄のいる部屋への扉一枚を、越えられなかったのと同じように。
 機構を離れる前に使っていたジンの住居は、未だ手つかずのままだという。遠くない内にそこに戻る事になるだろうから、部屋は払わずにおいて欲しい。上官であるカグラには、既にそう伝えてある。
 何故かその際、昔馴染みの男は何やら遠い目をして「…俺、心底あいつに同情するわ」と呟いていた。次いで、「お前の鈍さも大したもんだな」、とも。カグラの言うあいつとは、恐らくラグナの事だろう。世界の破壊者としての運命に打ち勝ち、最愛の妹も取り戻した兄は、漸く訪れた穏やかな生活の中で幸せそうだ。カグラなどの同情を受ける謂れはない。
「まぁ…出来るかどうかはともかく、部屋は余ってるからいつでもお前の好きに使えばいいさ。…そうだ、何なら俺の所に来るか?お兄ちゃんが鬼の形相で連れ戻しに来ても、匿ってやるぞ?」
 次いでニヤニヤと揶揄してきたカグラの顔まで思い返してしまい、ジンは盛大に顔を顰める。苛立ちに任せて氷の塊を投げつけてきたのだが、やはりそれだけでは足りなかったかもしれない。氷柱でも作って埋め込んでやれば良かったと、内心で舌を打つ。
「ジンー」
「…なぁに?」
 間延びした兄の声に、沈んでいた思考が引き戻された。いつも長兄らしくあろうとしているラグナが、自分の前でここまでの醜態を見せるのは珍しい。
 愛おしさと切なさが複雑に混ざり合った声音は、我ながら蜂蜜をそのまま舐めたように甘かった。相変わらず自分の腹に顔を埋めたままの兄の髪を梳くと、擽ったげに鼻を鳴らす。ぐりぐりと鼻先を押し付けてくる仕種は、前言撤回、子供というよりは大きな犬に近かった。
 ジン、ジンと上機嫌に鳴く大型犬は、幸せそうに目尻を染めたまま寝言にも似た独白を溢し始める。
「やっぱり、今年も今日はいい日になった。俺の思った通りだ」
「え…?」
 半分夢の中なのか、兄の声はふわふわと覚束無い。眠たげな双眸がジンを見上げ、へらりとだらしなく崩れた。
「昔っから、お前の誕生日はいい事ばっかだ。サヤの作ったプディングが奇跡的に美味かった時も、初めて師匠から一本取った時もそうだった」
「―――にぃ、さ…?」
「そうだよなぁ。だって、お前が生まれた日だ。お前が…俺の弟になった日だ。それが、いい日じゃない訳あるかよ」
 あたたかい手が伸びてきて、するりと髪に絡む。輪郭を包むように触れる、硬い手のひら。優しく、柔らかく、まるで宝物にするような―――

「誕生日おめでとな、ジン。俺の弟がお前で…良かった」

 それは、ジンがずっと欲しかったものだった。
 今まで幾度となく与えられていたにも関わらず、己の思い込み故に取り溢し、見ない振り聞こえない振りをしてきた、兄からの肯定で愛情だった。
 ああ、唇が震え、意味を成さない吐息が漏れる。次の瞬間には、目から溢れ顎を伝った涙が、ラグナの頬に落ちていた。見上げてくる紅翠が、驚きに僅か瞠られる。最早繕う事も出来ずにほろほろと泣き出した弟に、やがて兄の顔が分かり易く脂下がった。「あーもーしょうがねぇなー」とぼやく声音は、何処か嬉しそうだ。
 ラグナは寝転んでいた上体を起こしソファに座り直すと、ジンの両脇に腕を差し入れよっこらせと自分の膝に抱き上げた。宥めるように金色の頭を撫で、濡れた頬にぺったりと自分のそれを寄せる。分かりやすいラグナの甘やかしに、ジンは堪らず兄の広い背中にしがみ付いた。
「自分の誕生日にぴーぴー泣く奴があるかよ、この泣き虫」
「うん…」
「…お前、明日はちゃんと休み取ってきたんだろ?」
「うん」
「よし。なら、明日は昼までぐうたらするからな。…ケーキも、今日の内に焼いといた。喜べ、兄ちゃんのお手製だぞ?」
「…うん」
「仕事が終わったら、ノエルたちも来るってよ。そしたら、みんなでメシにしよう。一日遅れの誕生祝いだ。呼んでねぇけど、どうせカグラも来るだろうし…賑やかになるな」
 あいつらも、お前が生まれてきたのが嬉しいんだと。普段あんなにツンツンしてるくせに、慕われてんだなぁお前。
 それがさも自分の事のように、ラグナは笑う。加減のない頬ずりは、少しだけ痛い。
「―――さ…も?」
「んー?」
「兄さんも、僕が生まれてきて…嬉しいの?」
 ほんの数分前なら、浮かびもしなかった問いだった。酔っ払った兄の戯言だと、真に受けるべきではないのかもしれない。けれど往々にして、酔ったとき程人は本音を漏らすと言うではないか。
 目の前の肩に顎を預けたまま、ジンはじっとラグナからの応えを待つ。兄の浮かれた気分に中てられたのか、とくとくと早鐘を打ち始めた自分の鼓動すら、今は心地良い。
 かさついた唇が、柔く耳に押し当てられる。直接吹き込まれた稚気混じりの言葉は、幸せの形をしていた。 
 ああ確かに、今日はとてもいい日だ。

「んなもん、俺が一番嬉しいに決まってんだろ…ばーか」




ジンちゃんお誕生日おめでとう…!
貴方のおかげでBBに転がり落ちたと言っても過言ではありません。はよ幸せになってくれ…!


2014.02.14 pixiv、サイト掲載