※人によって倫理的、道徳的に不快になるかもしれない表現があります



「女に生まれてくれば良かった」

「ああ?」
 すぐ傍で聞えた訝しげな声に、ジン=キサラギは喉の奥でくつりと笑った。いつもとは違う角度でかち合う紅と翠のオッドアイ。そこに映る自分を思えば、自然媚びるような笑みが浮かぶ。
「兄さんの弟じゃなくて…妹。そうしたら兄さんは、もう少し僕に優しくしてくれたでしょう?」
 この状況でよく言うと、兄――ラグナはうんざりと顔を顰める。
 安宿の、お世辞にも広いとは言えない部屋に置かれた狭いベッド。情事の名残も濃いシーツの上で裸のまま、他ならぬ兄自身に注がれた精の始末を受けている最中だ。その反応も当然だろう。
 腰を落ち着けている兄の脚の間、膝立ちで向かい合っている為、普段は見上げるばかりの顔が今は少し下にある。腹の中に埋った指が動く度、くちくちと音を立てて掻き出されてゆく白濁を、弟は勿体無いと思った。折角兄が植え付けてくれた種を結べないばかりか、受け止める器官すら持たぬ男の体が恨めしい。
 兄の硬い髪に顔を埋めて、弟は物憂げに一つ息を吐く。
「抱いてもらうのも楽だし…兄さんの子供だって、産んであげられるのに」
「…兄妹でガキ作ろうとすんな。馬鹿かテメェは」
 もしもの話を好まない兄がこの話題に乗ってきたのが意外で、けれど「下らない」と一蹴されなかった事が嬉しい。
 ラグナの肩に置いていた手を滑らせて、首裏へと回し隙間無く体を寄せる。急に体勢を変えたからか、少し慌てた様子で腹の中に収まっていた指が出て行ってしまった。
 "素直な弟"でさえいれば、ラグナは無下にジンを拒んだりしない。現に今も、呆れたような吐息を吐けど、兄の手は労るようにジンの腰に回されている。
「だって、それが一番簡単なんだもの。泣いて、脅して、僕が孕むまで何度でも犯してもらって…。そうすれば、兄さんをずっと繋ぎ止めておけるのに…」
「ジン…」
「いいじゃない。兄さんに似た子供なら、きっと可愛いよ?ああ…でも、あんまり兄さんに似ていたら…殺したくなっちゃうかな?」
 咎めるような兄の声に構わず、くすくすと笑いながら剥き出しの肩に額を擦り付ける。
「何人でもいいよ。兄さんが欲しいだけ、産んであげる。何度でも、何度でも…貴方が、僕だけのものになるまで…」
 そうして口許に笑みを刷いたまま、至近距離から紅翠の双眸を覗き込んだ。
「ねぇ…"ラグナ兄さま"?」
 戯れに口にした呼び方に、他意はなかった。ジンの知る"妹"は、どちらも自分を「ジン兄さま」と呼んでいたから。
 失敗したと悟ったのは、その呼び名を聞いた途端、兄の纏う気配がざわめいたからだ。妹との思い出は、兄にとって侵しがたい聖域のようなものだ。そこに土足で踏み込むような真似をすれば、どうなるか。
 構ってくれるのが嬉しくて、調子に乗りすぎた。
「あ…」
 唇を引き結んだラグナの表情は、酷く険しかった。その面に浮かぶ感情に名前を付けるなら、厭忌が一番近いかもしれない。
 無意識に後退ろうとしたジンの体は容易くラグナに捕まり、ベッドの上に押し付けられる。 
「痛っ…」
「さっきから、ごちゃごちゃ煩ぇんだよ…テメェは」
 少し黙ってろ。
 押し返そうとした手を逆に取られ、頭の上で一纏めに拘束される。それを右腕一本でやってのけたラグナは、ジンの脚の間に体を割り込ませると、未だ泥濘んだままの後孔に指を突き入れた。さっきまでそれ以上の質量を咥え込んでいたそこは、再び胎内を埋めた異物を悦んで迎える。
「ひっ…!あっ、あ、に…さ、待って…っ!」
 奥のしこりを執拗に攻め立てられる度、ジンの背がしなり腰が跳ねる。涙で滲み出した視界の先にある兄の顔は冷めたままで、自分だけが一人高みへと連れて行かれる事に、弟は酷く怯えた。唯一自由の利く首を嫌々と振っても、ラグナの指先は容赦なくジンを追い詰めていく。
「やだ、やだぁ…っ!そこ、そんな…したら、イっちゃ…」
 僅かに残る滑りだけを頼りに、二本、三本と蠢く指が増やされる。嫌だ止めてと拒絶する言葉とは裏腹に、ジンの後孔はそれ以上を強請るようにラグナの指を締め付けて止まない。
 実弟の痴態に、兄が唇を歪め笑う。嘲るように。
「イけよ、出来んだろ?こっちだけで…女みてぇに」
「う、ぁ…やめっ、一人じゃ…や…にいさんっ、にいさ…ああぁっ!」
 一際強く前立腺を抉られれば、先刻の情事の燻りも収まらぬままの体は呆気なく果てた。散々欲を吐き出したジンの性器から、濃度の薄い体液が溢れ腹や下生えを汚す。
 それこそ女のように後ろへの刺激だけで達し、過ぎる快楽に身を震わせる自身の姿は、兄の色違いの瞳にどの様に映っているのだろう。
 強張っていた体がやがてシーツの上に沈むと、戒められていた腕が解かれた。じわり、止まっていた血液が指先へ通っていくのを感じると同時に、目尻に溜まっていた涙がこめかみを伝って落ちていく。
 それが合図だったのか、堰を切ったようにボロボロと零れはじめた涙を、ジンは自由になった両の腕で隠した。素肌に触れる瞼は、火照った体よりも尚熱い。
 自ら閉じた視界の向こうで、小さな溜息が聞えた。ギシ、と軋んだベッドに、兄が傍から離れたのを知る。行かないで。請う声は嗚咽に変わって、意味を成さなかった。
 フローリングを踏む音、扉が開いて閉まる音。そして間を置いて流れ出した水音を聞くに、湯でも浴びに行ったのだろう。もしかしたら今夜は、このまま追い出されてしまうかもしれない。兄の機嫌を損ねてしまったのだから、当たり前だ。殺し合うでもいがみ合うでもない貴重な兄との逢瀬の時間を、投げ捨ててしまったのは自分の方なのだから。
 だったらラグナが戻ってくる前に部屋から去った方が、直接摘み出されるよりも心の傷は浅くて済む。しかしそうと解っていても弛緩した体は重く、溢れる涙も止まる気配が無い。
 早く早くと気ばかりが急いていた所為で、注意力が散漫になっていた。
 何の前触れも無く腹の上に乗った温もりに、ジンはビクリと肩を震わせる。小さな悲鳴と共に目元を覆っていた腕を外し顔を上げると、視線の先にはいつの間に戻って来たのか、下の服だけ身に付けた姿の兄がいた。腹の上の温かいものの正体は、湯で絞ったタオルだ。呆けたように自分を見つめるジンに気付いてるだろうに、ラグナは一瞥もくれぬまま、黙って弟の体を清め始めた。温いパイル生地の感触に気が緩んだか、ジンの右目からまた一つ、新しい涙が零れて落ちる。
「―――兄さんの馬鹿。意地悪…」
「…そりゃこっちのセリフだ、馬鹿ジン」
 降ってきた声は、存外に静かだった。始末を終えた頃にはすっかり冷めてしまったタオルを床に放ると、ラグナは空いた手でジンの髪を撫でる。額に、頬に汗で張り付いた金糸を避ける指先は、普段の粗野な態度とは裏腹に酷く優しかった。 
「…変わらねぇよ。お前が妹でも…何も、変わらない」
 珍しく言葉を選んでいるのか、躊躇いがちに兄の唇が開閉を繰り返す。大きな手のひらに頬を寄せたまま、ジンは黙ってラグナの言葉の続きを待った。
「相変わらず俺は体の弱いサヤばっか構って、お前が寂しがってんのにも気付かねぇで…。そのうちお前に殺されて…お前を憎んで、怨んで―――」
 雨垂れのように落とされる兄の言葉は絶望と同じだったけれど―――だってそれは、例えジンが妹でもサヤのようには愛されないという事と同義だ―――、静かに凪いだ双眸の中にはラグナの言う憎しみも怨みも見えなかった。こつりと額を合わせられ、上等な石のような紅翠が間近に迫る。兄の真意を測ろうと、ジンは涙で歪む視界で色違いの瞳を見つめ返すが、しかしそれもすぐに祈るように伏せられて見えなくなってしまった。 
「だったら、このままでいいだろ。馬鹿で泣き虫で、どうしようもないクソガキの…。―――俺の、弟のままで…」
 だから、他のものになりたいなんて言うなと。こちらの応えを聞く気もないのか、開きかけたジンの唇に、ラグナのそれが重なった。力任せに押し付けるような口付けは、まるで見えない何かに怯える子供のようで。けれどその理由を問おうにも、ぬるり滑り込んできた舌に思考まで絡め取られ、何も考えられなくなってしまう。
 だらしなく口を開けて、互いの舌を擦り合わせて。最早どちらのものか分からない唾液が唇の端から溢れる頃には、兄から与えられる口付けにただ没頭していた。
 脳の奥が痺れるような快楽に夢中になっていると、不意に下肢に熱の塊が押し付けられる。張りつめたラグナの欲に、閉じる事を忘れたジンの唇からあえやかな声が漏れた。
「…ぁ、まだ…するの?」
 ぐい、と揺すり上げられる度、体の奥で燻る火種が熱量を増していく。明らかな意思を伴う腰使いに戸惑い見上げた先には、煽る様な動きからは想像もつかないような不機嫌さで口元を曲げた兄がいた。
「テメェがいらねぇことばっか言ってるからだろ。とっととトんで、さっさと寝ちまえ」
「やだ…、行かないで」
 眠ったら、この時間が終わってしまう。縋るように兄の腕を掴むと、ラグナは眉間に皺を刻んだまま、何とも言えない顔で押し黙ってしまった。
「…俺が借りた部屋なのに、何でこっちが出てかなきゃなんねぇんだよ、ばーか」
 引き止める手を逆に取られ、依れたシーツの上に縫い付けられる。ぴったりと合わせられた手のひらに、絡む指。つい先程強いられた無体の時とは違う、緩やかな束縛。
「にぃ…さ…?」
「朝までいるに決まってんだろ。テメェが宿代払うってんなら、別だけどな」
 そうして喉笛に噛みつかれたのを最後に、会話は一方的に打ち切られてしまった。後はただ布の擦れる音と、二人分の息遣いだけが狭い室内を満たす。
 平らな胸を撫でられ、反り返った性器を擦られ、掠れた声で名前を呼ばれ。抱かれているのは弟のお前だと、思い知らせるような兄の愛撫に目眩がする。
 このままでいい。ラグナの弟としての、ジンのままで在ればいい。
 言葉で、行為で。兄から示される己が存在の肯定を、しかし弟は信じる事が出来ない。
(だって僕は、貴方から奪ってばかりだ…)
 中心を貫かれ、揺さぶられた拍子に転がり落ちた涙を、兄の舌が攫っていく。やがて最奥に吐き出されるだろう熱を待つ間、嗚呼矢張り女に生まれてくれば良かったと。何度目か、そう思った。