世界への宣戦布告を間近に控えたある日、ロックオン・ストラトスは刹那・F・セイエイの手を引いて、プトレマイオスから地上へと降り立った。今日と明日は、スメラギに無理を言ってもぎ取ってきた貴重なオフだ。そもそもちゃんとした目的を持ってこの日を選んだのだから、限りある時間を無駄にする訳にはいかない。
 四月を迎えたばかりの経済特区・日本は吹く風こそ肌寒かったが、日差しは麗らかに優しく、暖かかった。
「ロックオン…」
 呼ばれて振り向けば、困惑したように眉根を寄せ、こちらを見上げている刹那と目が合った。刹那はその幼い見た目に似合わず無口で無愛想だが、根は素直だ。だから今も、促されるままに大人しくロックオンの後ろを付いてきている。
 と、ここに来て漸く、ロックオンはまだ彼に地上に降りた目的を話していなかった事に思い当たった。足を止め、自分の胸元の辺りでふわふわと跳ねる黒髪を撫でる。
「お前、明日誕生日だろう?」
 刹那の誕生日を迎えるのは、これが二度目。ヴェーダの情報が正しければ、彼は今年で十六歳になる。
「だから何か一つ、好きな物買ってやるよ。おにーさんからのプレゼントだ」
 茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせれば、刹那の眉間に寄った皺が更に増えた。
「しかし…」
 凡そ子供らしくないその生真面目さに、ロックオンは苦笑の形に表情を歪める。刹那の言いたい事は、わかっているつもりだ。

 ―――ソレスタルビーイングのガンダムマイスターが、私物を増やすのは好ましくない。

 己が存在した痕跡は、決して残す事のない様に。世界を敵に回す者として、ロックオンも刹那も、それを至極当然の事として受け止めている。
「何だよ、遠慮すんなって。可愛くないぞ?刹那」
 去年の刹那の誕生日には、彼の好きな食べ物ばかりを作ってやった。料理ならば、腹の中に入ってしまえばそれで終わりだ。
 何も、特別な日ばかりではない。例えば、コップ一杯のミルクだったり、訓練後に口の中に放り込んでやったマーブル模様の飴玉だったり、眠る前に瞼に落とすおやすみのキスだったり。ロックオンが刹那に与えるものは、全て形の残らないものばかりだった。
 けれど―――
「ロックオン…」
「ああ、でも食い物はダメな。それは明日帰ってからのお楽しみ…」
「―――どうした?」
 困惑を増した刹那の声音に、ロックオンは口を噤む。
「いつもの、お前らしくない…」
 ああ―――やはり敵わない。
「…そうだよな。気にすんなって、単なる思い付きだ。今年は何か、お前に形に残るものをやりたいなって…ただ、それだけ」
 そう、それだけだ。
 運命の日まで半年を切った今、そればかりを考える時間が増えた。
 他の誰でもない、この子供の傍に―――いつか置いて逝く、刹那の傍に。自分が存在していた、証を。記憶なんて曖昧で不確かなものでなく。それを手にする度、刹那が自分を思い出すように。
 死して尚、自分の元に繋ぎ止めておけるように。
 ―――紛れもない。ただのエゴだ、こんなもの。
「…悪ぃ。やっぱり帰ろう、刹那。プレゼントの代わりに、何でもお前の好きなもん作ってやるからさ」
 明日はご馳走だぜー、デザートに苺のケーキ付きだ。
 頭を一つ振り、無理矢理笑ってロックオンは刹那の頭をくしゃくしゃに掻き回すと、繋いだままの手を引いて再び歩き出した。
 でも折角降りてきたんだから、デパートで買出しをしてから帰ろう。リヒティやクリスなんか相伴に預かる気満々だったから、どうせならクルー全員でパーティーでもするか。
 とりとめもない事を話し続けるロックオンに連れられるまま、呆っと街並を眺めていた刹那の足が、不意に止まった。
「…刹那?」
 首だけを巡らせる形で背後を見やれば、刹那は大きな両の目を、一つの店のショーウィンドウに固定したまま。おもむろに掴まれているのとは逆の腕を上げ、その片隅を指差した。
「―――あれがいい」
 示された指の先には、刹那の手のひらにさえ収まるだろう程の大きさの、イルカの形をしたガラスの置物があった。緑とも青とも言えない不思議な色合いをした―――しかしプレゼントというにはあまりに稚拙な作りのそれを見つめたまま、もう一度、あれがいいと繰り返す刹那を見やるロックオンの表情に、一瞬痛みにも似た色が過ぎる。
「刹那、もう…」
「何か一つと言ったのはお前だ」
 頑なな刹那に、先に折れたのはやはりロックオンの方だった。諦めたように一つ溜息を吐くと、「ちょっと待ってろ」と言い置いて一人、店の中へ入っていく。暫くの後、ガラスのイルカは店員の手によって刹那の前のショーウィンドウから消え、入れ替わりに綺麗にラッピングされた箱を持ったロックオンが店から出てきた。鮮やかなスカイブルーのリボンが掛かったそれを刹那の手の上に乗せ、「誕生日、おめでとう」と、どこか彼は哀しげに笑む。



「お前、イルカ好きだったんだ?」
 宇宙に上がるリニアの中。飽きもせずに貰ったイルカを眺めている刹那に、ロックオンは問いかける。
 この子供の過去は知らないが、海さえ見た事がなかったという彼が、そこに住むイルカに馴染みがあるとは思えなかった。
 ゆっくりと、刹那の紅茶色の瞳が瞬いてロックオンを見、次いで手の中のガラスに落ちる。何でもない事の様に、言った。
「形は何でも構わない。これは…お前の目と同じ色をしていたから」
 正しく。正確に自分の言葉を理解していた刹那に、ロックオンは側頭部を強かに殴られたような衝撃を覚えた。
 声を失くし、ただ呆然と見つめてくるロックオンに気付かぬまま、刹那は覚束無い手つきで、そっとイルカの輪郭をなぞる。
「だから俺は、これがよかった」
「刹、那…」
 ゆるりと、微かに口の端を和ませて、ようやっと十代の半分を過ぎようとしている少年は目を伏せる。
「―――大事に、する」
 衝動のまま。ロックオンは力任せに未だ伸びきらない腕を掴み、引き寄せ強く抱きしめた。
 潰されてしまわぬようにと、刹那が咄嗟に逃がしたガラスのイルカが小さな手から零れ、無重力の中を泳ぐ。
 それを視界の隅に捉えたまま、ロックオンは丸い子供の頬を撫で、薄く開いた唇に深く口付けた。




こんなことねちねち考えてる兄さんは嫌だ。でもマイスタで一番根暗なのはきっとロックオンと思う
薄暗いですが、せっちゃん全力で誕生日おめでとう


2008.04.07