「ロックオン」
 追いかけてくるだろう事は解っていたから、待っていなかったといえば嘘になる。
 割り当てられた自室のベッドに寝そべったまま、視線と片手だけをおざなりに上げ、ロックオン・ストラトス―――ライル・ディランディは訪問者である刹那・F・セイエイを迎えた。手持ち無沙汰に隣に転がしていたハロが『セツナ、セツナ』と嬉しそうに彼を呼び、弾みながら飛び掛っていく。あれは直撃コースだ。しかし刹那は動じる事も無く、心得たというように一歩下がって両腕を伸ばしそこにハロを収める。「少しいいか?」と大きな瞳をライルに向けるのに、肩を竦める事で返事をした。
「入りなよ。何となく…あんたが来るんじゃないかって思ってたんだ」
「―――何故?」
「だって納得いってないんだろ?俺の態度がさ」
 あえてオブラートに包まない言い方をすれば、刹那の眉間に僅か、皺が寄る。いつも四角四面の仏頂面のくせ、今日は随分と素直な事だ。反動をつけて上体を起こし、ライルはベッドから立ち上がる。何か飲むかと聞けば、直ぐに済むからと首を横に振られた。大きな一対の瞳が、ひたとライルを見つめる。
「―――憎くはないのか?」
「…どうして?」
「俺は、”あの”テロを引き起こしたKPSAに所属していた」
「それはさっき聞いたよ。だが、あんたが爆弾を抱えて突っ込んでった訳じゃない」
「―――それでも、全く無関係だった訳でもない」
 その言葉に、部屋の温度が下がった気がした。…もちろん、そうしたのは刹那ではなくライルの方だったのだが。
「……何が言いたい?」
「………」
 これにはだんまりだ。その代わりというように、刹那の腕に抱えられたままのハロが、パカリと頭の開閉部を動かす。珍しく大人しかったものだから、ライルも、ハロを抱えていた刹那自身さえ、その存在を失念していた。無言のまま忙しなくカメラアイを点滅させているハロを刹那から取り上げると、ライルは強制的にスリープモードをオンにしてからベッドの上に放り投げる。
「オーケー、質問を変えよう。あんたはおれにどうして欲しい?」
「……断罪を」
 想像通りだ。ライルは忌々しげに舌を打つ。
「お断りだ」
「ロックオン…っ」
「あんたは、そんな事をさせる為におれを連れてきたのか?」
「違う!」
「だったら馬鹿な事を言わないでくれ。罰だか逃げだかは知らないが、何の関係も無いあんたを撃ったところで、ただの人殺しになるだけだ」
「それだけじゃない、俺は…」
 これではただの押し問答だ。ライルはうんざりと首を横に振る。
 埒があかない。
「じゃあ他に何があるってんだ。―――あんた、この話兄さんにもしたんだろう?」
「……ああ」
「それでも、あんたは今生きてここにいる。…あの人がおまえを生かしたんなら、おれにはどうしてやれる権利もない」
「………」
 頑是無い子供をあやすように、ライルは刹那の頭の上に手を乗せる。大げさに跳ねた肩は、無視する事にした。
「―――この話はもうお終いだ、刹那…」
 途端、乾いた音を立てて、その手が振り払われた。じん、と痺れるような痛みがそこから腕へと伝っていく。八つ当たりとしか思えないその行動に、ライルは眉を顰めた。
「おま……っ」
「ニール・ディランディは俺が殺した!」
 その言葉の内容よりも、刹那が初めて見せた激昂の方にこそ、ライルは目を見張った。激しく頭を振り、戦慄く唇を噛み締め、けれど逸らされる事無い榛色の双眸だけは、焼き切れてしまいそうな程の強さで、ただライルを見上げていた。
「考えも無しにサーシェスの名を口にした。黙っていれば、あいつは深追いなんかしなかった。伸ばした手は届かなかった。俺は…俺の目の前であいつが消えるのを、ただ見ていることしか出来なかった。ロックオン―――ライル・ディランディ…、お前から最後の肉親までをも奪ったのはこの俺だ!」
 叫ぶだけ叫んで漸く、プツリと電池が切れたように刹那が頭を垂れる。同時に焦がされそうな程の熱を孕んだ彼の視線からも解放されて、ライルは小さく安堵の息を吐いた。喉の奥に詰まっていたものを吐き出してしまえば、空いたスペースにじわじわとせり上がってきたのはどうしようもない苦味だった。
「成る程。兄さんの仇としてなら…って訳か」
 それだって、あんたの咎ではないはずだと、ライルは口にしようとして結局止めた。これ以上反論されるのが面倒くさかったのもあるし、刹那がそんな言葉一つで納得するとも思えなかったからだ。仮に兄―――ニールの口から否定の言葉が出たとしても、この青年は頑なに首を横に振るのだろう。
 もう一度、今度は刹那にも聴こえるよう盛大に溜息を吐いて、ライルは緩く波打つ前髪を掻き上げた。
「あんたさ…この四年間、ずっとそんな事考えてたの?」
 冷めた声に顔を上げれば、その声音通りの顔をしたライルがこちらを見つめていた。僅かに眇められた”彼”と同じ色の瞳に浮かんでいるのは、しかし刹那が望んだ怒りでも憎しみでもない。それが滲むような憐憫の情である事に気付き、刹那は眩暈にも似た絶望を覚えた。
「おれたちが家族をテロで失ったのも、兄さんがCB(ここ)に入ったのも、私怨に走った挙句死んだのも、全部自分の所為だって…?」
「俺、は…」
「それはあんたの傲慢だよ、刹那。…そんなに、兄さんの事が好きだった?」
「…ライル」
「大事にされてたんだろ?多分…ここにいた他の誰よりも。そうでも思わなきゃ、やってらんないくらいに…」
「―――っ、ライル・ディランディ…!」
 呼ばれる声は、まるで悲鳴だ。耐え切れないというように両耳を己の手のひらで塞いでしまった刹那を見やり、ライルは自嘲の形に唇を歪める。そこに纏わる感情が何であれ、それは間違いなく、ソレスタルビーイングに来てからライルが本心から浮かべた笑みだった。
「悪かったよ…虐めたかった訳じゃないんだ」
 両手を伸ばし、顔の脇で固まった刹那の手を慎重に剥がす。既に成人しているのだという青年のそれは、それでも自分のものよりも一回り程小さかった。
 重いよなぁと声には出さずに呟いて、労わるように親指の腹で手中に収まった手の甲を撫でる。
 誰に言われずとも解った。故郷から遠く離れた場所で、形こそ違えど、自分と同じ強さで”彼”に愛されたのだろう、刹那。
「あの人の愛情ほど迷惑なものはないよなぁ。抱えきれないくらい押し付けて、捨てる事も、返す事もさせちゃくれない…」
 そのまま軽く引けば、細身の体は簡単にライルの方へと倒れこんできた。抵抗がないのをいい事に、背中に緩く腕を回して抱きしめる。
 なぁ刹那、兄さんはあんたに優しかった?その優しさは、あんたに必要なものだった?
 あんたが同じに思っているかはわからないけど、刹那。おれは、兄さんがいてくれればそれでよかったんだ。ただ傍にいてくれれば、他には何もいらなかったのに―――
 両腕の中に閉じ込めた薄い肩が微かに震えているのに気付き、ライルは口の端を綻ばせる。ふわふわと跳ねる猫っ毛が頬を掠めるので、目を閉じてそこに鼻先を埋めた。
 正直、未だ信じ切れてはいない。己の半身である兄が、もうこの世にいないという事を。それでも―――


「可哀想な刹那…。あんたも、おいていかれたんだな」





ニールに一番愛された、おいてけぼり二人の話。難産でした
本当にニールがいるだけでよかったライルと違って、ニールがくれた優しさは刹那には必要なものだったけど、それを残しておいていかれた方はたまったもんじゃないと思うのです
ライル難しい、まだまだ模索中


2008.12.17