ジン=キサラギは、キスが好きだ。
 否、この言い方だと語弊があるかもしれない。
 言い直すと、ジンは兄とするキスが好きだ。
 男同士だとか、そもそも実の兄弟でだとか、それ以上に殺したくてたまらない相手であるのにだとか。そういう諸々の問題は、一先ず脇に置いておく。
 兎も角ジンは、兄とキスをするのが好きだった。少しだけ荒れてかさついた唇に触れるだけで、空虚だった自分の器が満たされる。この時ばかりは兄が自分だけのものになるのだから、それも道理だ。
 満ちるという意味では、ジンにとって殺し合いも同じくらい心躍るものなのだけれど、どうやら兄にとってはそうではないらしい。キスの合間に盗み見る兄の顔は、遠い昔に彼から向けられていたものと近かった。最早顔の一部となってしまったのではと疑うくらい常に眉間に刻まれている皺が消え、時折笑みさえ浮かぶ。ユキアネサ越しに対峙する時は、険しい表情ばかりのくせに。
 なので最近は、顔を合わせれば剣を交えるよりも唇を重ねる回数の方が多いくらいだ。自分ばかりが楽しいよりは、同じ気持ちを共有したい。それくらいの真っ当な感覚は、ジンだって持っている。
 兄とのキスは好きだけれど、額や頬に落ちてくる口付けは少し違う。一匹狼のふりをして存外触れたがりの兄は、戯れのようなキスを好む。軽いリップ音と共に髪に額に触れるそれは、子供扱いの延長だ。よろしくない。ジンはもう、月が落ちてくると泣くばかりの子供ではないのだ。自分の足で立つ事を覚え、兄と楽しく殺し合えるくらいの力も付けた。どうせするなら、子供のキスより大人のそれの方が好ましい。
 だからそういう時、決まってジンは両手を伸ばし、ついでに爪先も少し伸ばして兄の唇を奪うのだ。やはり唇同士をくっつける方が、髪や顔よりずっと気持ちいい。二度、三度と啄ばんで、互いの舌を擦り合わせる頃になって漸く、兄はその気になってくれる。兄から貰える唇へのキスは、それまで健気に頑張った自分への褒美のようなものだ。それが余計に、幸福感に拍車をかける。
 兄とのキスは、今のところジンだけの特権だというのもいい。キスをしている間は、正真正銘兄は自分だけのものだ。そう思えば、幼い頃からずっと兄を独占していた大嫌いな妹への溜飲も、少しは下がる気さえした。

 大体以上の理由から、ジンは兄とのキスが好きだった。
 ジンの好きなキスは、楽しくて、温かくて、汚い独占欲を満たしてくれる。そういうものだった。

「…っ、あ…ぅ…」
 ならば、今の"これ"は何なのだろう。
 いつものように兄の後を付いて回って、いつものように殺し合いは拒否されて。ならばといつものように重ねた唇は、いつものように難なく受け止められた。そこまでは予定調和、いつも通りの兄とのキス。今まで繰り返してきた幾つかの日々と、同じだった筈なのに。
「や…にいさ…、へん、変なの…おかし…」
 一体、何処で間違ってしまったのだろう。考えようにも、頭も視界も霞掛かって、上手に物事を掴む事が出来ない。
 視線の先には小汚い下宿の天井と、背中に触れる肌触りの悪いシーツ。安いベッドは少しの身動ぎでギシギシと鳴き、そしてその上に転がされた自分は、一糸纏わぬ生まれたままの姿だ。外気に晒された胸の表面を、圧し掛かる様に自分に覆い被さった兄の―――ラグナの唇が撫ぜていく。ゆっくりと、焦らすように。
 裸に剥かれたジンとは違って、兄はいつもの黒い上下を着たままでいる。トレードマークの赤いジャケットこそ床に脱ぎ捨てられているが、申し訳程度に上着の前だけ肌蹴ているのが逆に憎らしい。
 そんな弟の考えなど知りもしない兄は、時々ちくりと痛みを残しながらジンの首筋から鎖骨、薄い胸板へと、余すところなく口付けていく。
 口付け。そう、キスだ。肌に唇を付けているのだから、これもキスに相違無い。
 ジンは、ラグナとするキスが好きだ。けれどこんな―――慕情も殺意もぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、正体を失くしてしまうようなキスは知らない。
「い…あっ、あぁ…っん」
 散々舐め回された胸の頂は赤く熟れ、すっかり勃ち上がってしまっている。硬くなったそこに歯を立てられる度、ジンの口からは甘ったるい声が漏れ、腹の奥にじくじくとした熱が溜まっていった。
 やがて胸の飾りを転がすのにも飽きたのか、兄の頭が更に下へと下がっていく。鳩尾、臍、下腹部と順を追って滑る唇は、すぐに張り詰めたジンの雄に辿り着いた。切なげに先走りの滴を溢しているそれを、ラグナは何の躊躇いも無く咥え込む。
「ひぁ…っ!」
 喉に引っ掛かった声は、嬌声というにはあまりに怯えを含んでいた。一際敏感な個所を嬲られ、腰が跳ねる。過ぎる快感から逃れようにも、強張った爪先でシーツを掻くのが関の山だ。
「だめ、にいさんっ…そこ、いやぁ…っ!」
 涙混じりの懇願も、兄の口淫を止める手段にはならない。羞恥から両腕で己の視界を塞げば、五感の一つを閉じた事で、今度ははしたない水音がジンの耳を犯しはじめる。逃げ場を失った弟は、翻弄されただ啜り泣くばかりだ。
「やだ…やだぁ、あっ、も…、もぉ…やらぁ…」
「嫌、じゃねぇだろ」
 女みたいに上擦った悲鳴を上げる弟を、兄は笑うでも宥めるでもない。ただ一言、真摯とも言える声色でそう断じたラグナは、言葉より余程素直に快感を訴えるジンの性器をズルリと舐め上げた。そのまま先を浅く食まれ、きつく吸われる。
「ひ、ん…っ、んあ…っア…!」
 誘われるようにとぷり、白濁が溢れたのと同時に、目尻に溜まっていた涙がこめかみを伝い、落ちた。それでも、解放にはまだ遠い。下腹に渦巻く欲は溜まる一方で、じくじくと疼くそれは直ぐにでも痛みに変わってしまいそうな程。
「はぁ…っ、はっ、は、あ…んん…っ」
 ああけれど―――嫌じゃない。確かに、嫌ではない。
 大体からしてジンは、ラグナがくれるものならば寂しさ以外は何でもいいのだ。例えそれが痛みでも、憎しみだって構わない。なのだから、身体の中からぐずぐずに煮えてしまいそうな程の快楽を兄から与えられて、嫌な筈がなかった。
 それがキスなら、尚の事。
「いい…イイの、すごい、気持ちい、から…もっと、にいさ…もっとぉ…!」
 まるでパチリと、スイッチが切り替わったようだった。若しくは頭の天辺から足の爪の先まで、身体が造り変えられてしまったような。嫌ではないと気付いた瞬間、ジンの身体は貪欲に目の前にぶら下げられた刺激を求め出した。
震える手で兄の硬い白髪を掻き混ぜ、柔らかく湿った粘膜に己の欲を擦り付け。閉じる事を忘れた唇から絶えず喘ぎと唾液を溢し、物欲しげに腰を揺らめかせるジンの様は、容貌が整っている分だけにぞっとする程淫靡だ。
 弟の痴態に、深くジン自身を咥えたまま、兄が喉だけで笑う。その僅かな振動だけで、達してしまいそうな程に、気持ちがいい。
 前への刺激に夢中になっていたら、不意に後孔にも指の腹が押し当てられた。そのまま竿を伝って垂れた精液で濡れたそこに、節の目立つ指が潜り込む。体内に入り込んで来た異物を、しかしジンの身体は悦んで受け入れ、締め付けた。
「あ…っ!あ、あァっ、そんな、ナカ…擦っちゃ…!」
 どさくさに紛れて暴かれた後ろも、唇で愛撫されている前も。兄の触れる部分全てが性感帯になってしまったようだった。気持ちいい、気持ちイイ、早く出してしまいたいと、即物的な欲望に思考が真っ白く塗り潰されていく。
「にいさ、兄さん…っ!イく…も…、ぼく、イっちゃ…ぁ、あああぁぁっ!」
 チカチカと瞼の裏で瞬いていた火花が弾けて、ジンはラグナの口内に精を吐き出した。射精を促すように性器を吸われ、身体が痙攣する度に、零れそうな程見開いた緑瞳からも涙が溢れる。
 当然の如く吐き出された最後の一滴までを胃に納め、兄が漸く弟の脚の間から顔を上げた。様々な体液で濡れた口元を拭う仕種は、餌を喰らえどまだ足りぬと、舌を舐めずる獣に似ている。けれど男は獣の前に、兄という生き物だった。吐精の余韻に脱力し、シーツの海に沈んだまま己の痴態を恥じて泣く弟に気付くと、苦笑の形に顔を歪める。
「あー…、悪かったよ。ちょっと虐め過ぎたな」
 何時の間にか体内から抜かれた指をシーツで拭ったラグナは、汗や涙で頬に額にと張り付いたジンの髪を丁寧に避けてやった。壊れた蛇口のように滴を零し続ける目元も舐め取って、少しの逡巡の後に滑らかな額へとあやすようなキスを落とす。
 ああまた、子供扱いだ。ぎゅう、とそれこそ子供のように眉根を寄せて、ジンは両手を伸ばし兄の頬を捕らえる。そのままクイ、と喉を逸らして、薄い唇に噛みついた。表面を湿らせている涙の所為で、いつもより少し塩辛い。構わず数度、やわりと食んでから舌を入れる。精の名残を残したキスの味はそれは酷いものだったが、元はと言えば自身のものなので我慢するしかない。中途半端に枕から上げていた頭は、何時の間にか兄の大きな手のひらで後頭部を支えられていた。甘えるように身を任せ、暫し無心で唇を擦り合わせる行為に没頭する。
「……っ、ばーか。苦かったろ?」
 いい加減に息も上がってきたところで漸く顔を離すと、赤くなった口の端を緩めて兄が笑っていた。そっと、まるで大事なもののようにジンの頭を枕に戻したラグナの手が、今度はくしゃりと金糸を混ぜる。輪郭をなぞるように滑り落ちてきた手のひらに頬を預け、未だあちこちに散らかった思考を掻き集める事を放棄し、瞼を伏せた。
「―――だって…キス、したかったの」
 兄さんと。
 言葉を裏付けるように、ジンは顔を僅かにずらして兄の手の腹に口付ける。意図せず、ちゅ、と軽い音が立って少しばかり気恥ずかしかったが、今更だろう。剣士の硬い手のひらに唇を押し当てたまま、閉じていた目を開けて長い指の隙間から兄の様子を窺う。そこから見えたラグナは、さっきまでの穏やかさから一変、口元をへの字に曲げむっつりと押し黙っていた。
「…このマセガキが」
 はぁ、とこれ見よがしに溜息を吐くと、兄は自分の下に敷いた弟の身体の上へ上体を傾ける。そのまま背中とシーツの間に滑り込んで来た腕に、強い力で抱きしめられた。素肌に触れる、硬い髪がくすぐったい。
「あんまり煽んな。…どうなっても知らねぇぞ?」
 直接耳に吹き込まれた声は低く、熱を持って熱い。けれど重なった互いの腹の間、窮屈そうにボトムの布を押し上げている兄の欲の方が、それ以上に焼けるようだった。もう直ぐこれに貫かれるのかと思うと―――流石に菊座を弄られて解らぬ程、ジンは無知ではない―――、甘い期待に腰がゾクリと震えた。もどかしげに擦り合わせた内腿に、兄は気付いただろうか。
「…いいよ」
 未だ弛緩したままの腕をやっと持ち上げ、広い背中を抱きしめ返す。
「全部あげる。僕の全部…兄さんの好きにして。でもね、その代わり…」
 くい、と服の布を引いて、至近距離から兄の顔を見つめる。つい数分前の事など忘れ、性懲りも無く口付けたいと湧き上がる欲のまま、口を開いた。
「キス、いっぱいさせて。僕、兄さんとキスするの…好き」
 面を喜色一面に染めたまま、鼻先にある翠紅に向かって、ジンはふにゃりと微笑む。あどけない笑顔に似つかわしくない色香を纏わせ、全身で好意を振り撒く弟の姿に、今度こそ兄の動きが完全に停止した。暗がりでもわかる程に顔を顔を赤く染めたラグナは、あーだかうーだか判別のつかない声でグルグルと唸っている。しかしそれも、ほんの数秒の事。やがて「ああもう!」と叫んだ兄は、半ばやけくそのような勢いでジンの両手を己の背中から引き剥がし、ベッドの上に縫い付けた。
「―――んっとに!どーなっても知らねぇかんな…っ!」
 そうしてそのまま、噛み付くように口付けられる。弟は兄の言うところの"どう"なっても一向に構わなかったので、同意の返事を封じられて尚、嬉しそうにその表情を綻ばせるのだった。

 その後、めでたくジンの"お願い"は聞き入れられ、その身に一生分もかくやという程の口付けをラグナから贈られる事となる。
 それでもまだ足りないと思うのだから、やはり自分は兄とのキスが好きなのだと。この夜最後のキスを唇に受けながら、弟はうっそりと微笑んだ。



キスの日なので、ひたすらに兄弟をイチャつかせてやりました。
兄さんの攻めはねちっこければねちっこい程いいと思います。


2014.05.23. pixivにアップ
2014.05.30 サイト掲載