オリエントタウンの朝は早い。日の出と共に市が立ち、活気溢れる人々の声がこの診療所にまで届いてくる。 お陰様で、ここで世話になりはじめてからこっち、すっかり規則正しい生活が板に付いてしまった。 数日前まで死闘を繰り広げていたなんて、嘘の様な穏やかさだった。 「おい、クソガキ。調子はどうだ?」 とても見舞う者の台詞とは思えない言葉と共に、ラグナは木製のドアを勢いよく蹴り開ける。 行儀が悪いと言う事なかれ、両手が塞がっていては足を使うしかないではないか。 その扉の向こう、窓際に置かれた寝台の上。枕に上体を預け微睡んでいた青年が、迷惑そうに閉じていた翡翠をラグナに向けた。 「もう、兄さん…うるさい」 「兄ちゃんに向かってそんな口がきけんなら、大丈夫そうだな?」 青年の―――弟、ジンの小言を受け流し、ラグナはベッドの隣に置いてあった椅子に腰を下ろす。 先の戦いで弟がその身に負った傷は深く―――その半分程はラグナの手によるものだったが―――、更にここ数日寝たきりだった事もあり、元より肉付きの薄かった体はいっそ頼りない程に痩せてしまっていた。 それでも、漸く容体も落ち着いたのか、弟の顔色は悪くない。 「…それ、兄さんが作ってくれたの?」 凪いだ翡翠の瞳が、ラグナの手元を見つめ、ゆっくりと瞬いた。 兄が手にしているのは、小振りのトレイ。その上に乗せられた椀の中には、真っ白い粥がほかほかと湯気を立てている。 「腕のリハビリがてらな」 テメェがちゃんと食わねぇから、師匠たちが煩ぇんだよ。 そう言って軽く睨めつけると、気まずそうに弟の顔が逸らされた。 ノエルやマコト、それに獣兵衛までが人の顔を見る度、ジンが食事を怠っていると言ってくるものだから、こうしてラグナが手ずから腕を奮ってやったのだ。自分の作ったものならば、肉の丸焼きでもない限り、ジンは口に入れるだろうと踏んでの事だった。 全くもって、手の掛かる弟である。 「おら、冷めない内に食っちまえ」 そう言ってトレイを押し付けるが、弟が受け取る気配はない。それどころか、こちらに向けてパカリと口を開けてみせる。 「…何してやがる?」 「折角だから食べさせてよ、兄さん」 「調子乗ってんじゃねぇぞ、テメェ…」 「手、まだ力入らないから、溢しちゃうかも」 そう嘯く弟は、形の良い唇を釣り上げ楽しそうに笑っていた。存分に甘えを含んだ声が、だめ押しとばかりに「だから早く」と急かす。 どこかで見たような光景にラグナは頭を捻り、やがてああと思い至る。 ―――そういえば幼い頃、一度だけジンが高熱を出した事があった。 見た目に反し健康そのものだった弟の弱った姿に、大いに動揺したのをラグナは今でもハッキリと覚えている。 時間にすれば、たった二日程度の出来事。それでもジンの熱が下がるまでは、生きた心地がしなかった。 その時も、柔らかく煮た粥を弟の口に運んでやった様に思う。 発熱で赤くなった顔で、それでも嬉しそうに笑っていた、幼い弟。自分の体の不調よりも、兄を独占出来ているという事実が嬉しかったのだろう。 そのときの表情が目の前の成長したジンに重なり、ラグナはそれ以上の文句を飲み込んだ。 「ったく…」 今も昔も兄の気苦労を喜ぶ弟に悪態を吐きつつ、ラグナはトレイの上に転がっていたレンゲを掴んだ。ぐるぐると椀の中身をかき混ぜると、掬ったそれを弟の口許に突き出す。 「ほらよ」 ひどくぞんざいな仕種だったが、ジンはそれで構わないようだった。冷ますように二、三度息を吹きかけてから、小さな唇がレンゲを咥える。まるで雛に餌を与える親鳥にでもなった気分だった。 「…食わしてやっても溢してんじゃねーか」 「兄さんの一口が多すぎるの」 確かに、レンゲに掬えるだけ掬ってしまった粥は、弟の一口には少し多かったかもしれない。 零れてしまった米粒を拭おうと上がったジンの手を引きとめ、ラグナは僅か上体を傾け弟に顔を寄せる。鼻に付くのは、ジンの治療に使っている消毒液の匂いだ。 「に、いさ…?」 口の端に付いていた粥を舐めとると、煮詰める時に使ったミルクの味がした。ついでとばかりにそのまま顔を横にずらし、柔らかい唇を食む。薄く開いていた歯列の隙間から舌を忍ばせれば、弟の細い肩がふるり震えた。 まだ微熱の続いているジンの口内は、しっとりとして熱い。一頻り中を弄ってから顔を離すと、ラグナは試案する様に小さく唸る。 「…味付け、薄かったか?」 「ううん…丁度いいよ。…美味しい」 「そうか」 数秒前まで唇を合わせていたとは思えない、色の無い会話。 兄は弟の返答に頷くと、今度は少し控えめに椀の中身を掬い上げ、再び口へ運んでやった。 先程までの威勢は何処へやら。すっかり大人しくなったジンは、ラグナから与えられる食事を摂取するのに専念している。 だから兄は、その頬どころか耳まで赤くしている弟に気付かないふりをした。 突いた所で、ラグナ自身でさえ、どうしてあんな事をしたのかわからないのだ。 兄として、家族としての親愛のキスならば、幼い頃に何度も与えてきた。 けれど唇への―――まして舌を入れるような深いそれは、明らかに家族愛の範疇を超えてしまっている。 (不味いだろ、どう考えても…) そして更に不味いのは、ジンが全く嫌がる素振りを見せなかった事だ。 一心に向けられている喜色に染まった両の翡翠を、どうにも直視出来ない。 この椀が空になった後の事を考えると、少しだけ頭が痛かった。 色んな兄弟でキスのお話。別名、兄さん自覚編← 家族愛を拗らせて一人でグルグルしてる兄さんが好きです。だから兄さん視点が多いのか?私… 弟は…ほら、近親相姦なんて全く気にしてないから…(震え声) 2013.06.04. pixivにアップ 2013.06.09. サイト掲載 →TOP |