「人間が犯した、一番初めの罪って…知ってる?」 オリエントタウンの外れにある、小さな診療所。活気溢れる街の声も、ここまで届くには少し遠い。 世界と一人の少女を掛けた闘いが当面の終結を迎えてから、今日で数日。 正に死闘と呼ぶに相応しかったそれで傷付いた体を、ラグナとジンの兄弟は共にここで癒している。 少し前までは動く事すら儘ならなかった体調も、万全とまではいかないが生活に支障のない程度には回復した。 だから今日もこうして二人、街まで降りて慣れない買い出しなどしてきた訳だ。 「あー…、原罪…だったか?確か、聖書にそんなような事が書いてあったな」 「よく覚えてたね。兄さん、勉強嫌いだったのに」 「うっせ」 確かに教会で過ごす時間の内、祈りの時間も勉強の時間も、ラグナは好きではなかったけれど。神に感謝の言葉を捧げる時のシスターの声や、自分の両脇で大人しく読書に没頭している弟妹たちの体温は、決して嫌いではなかった。 そんなラグナの内心など知る由も無いジンは、兄が抱えた紙袋の中から買ってきたばかりの食糧をテーブルの上に並べていく。半分に切られたキャベツ、にんじん、じゃがいもたまねぎに、弟の反対を押し切って買った厚切りベーコン。焼きたてのバケットが一本と、ころり転がる林檎が三つ。空になった紙袋は、小さく丸めてゴミ箱へ放った。 肉嫌いの弟に合わせた今晩の夕食は、兄特製のポトフだ。 「そう、原罪。一般的には神への不従順と見られる、神から造られた最初の人間であるアダムとイヴが犯し、今尚人に受け継がれている罪…」 兄さんが林檎を買うから、思い出しちゃった。 弟の言い訳は、兄弟でするには楽しくないだろうこれからの話への。 「アダムとイヴは、エデンの園に暮らしていた。エデンの中央には知識の実のなる木があって、主なる神は、二人にその実だけは決して食べてはならないと命じた」 「意味わかんねぇよな。そんなに食わせたくないんなら、最初っからそんな木植えとかなきゃいいだろ」 ラグナの言葉に、「兄さんらしい」とジンが笑う。ほっそりとした指がテーブルの上の林檎を一つ、綺麗な所作で取り上げた。 「ある日エデンに一匹の蛇が現れて、イヴに知識の実を食べるように唆す。愚かにも蛇の誘いに乗り禁断の実を口にしたイヴはアダムにもそれを勧め、結果二人は知識をつけた代償にエデンを追い出されてしまったんだって」 そうして桜色の唇をつるりとした表面に寄せると、控えめに歯を立て果実を食む。林檎特有の甘酸っぱい芳香が漂い、ラグナの鼻腔を擽った。 「…ねぇ、兄さん」 白い手のひらに包まれた赤は、弟の手中で一層その鮮やかさを増す。 兄を見上げる弟の瞳は、新緑。蜜に濡れた唇が笑みの形に吊り上がり――― 「兄さんも…食べる?」 共に堕ちよと、誘う。 一口分だけ欠けた、赤い果実。それをラグナに差し出し、ジンがうっそりと微笑んだ。蛇に騙されたという見た事も無い女の姿が、目の前の弟に重なる。 けれどラグナたちの楽園を壊し、原罪の引き金を引いた蛇は地を這う罰すら与えられず。あまつさえ唆した弟(イヴ)を手篭めに、兄(アダム)の元から連れ去った。 原罪を後世に伝える創生の書曰く、アダムとイヴが失った楽園はしかし形を変えずそこに在り、そこから追放されど彼らは、手に手を取って死ぬまでの時を共にしたという。 ならば聖書が語る原罪への罰の、なんと温い事か。 反応を示さぬ兄に、弟は刷いた笑みを苦笑に変え伸べた手を引く。しかしそれより早く、ラグナの手が半ば引っ手繰る様にジンの持つ林檎を奪い取った。驚愕に目を瞬かせる弟の目の前で、赤く艶やかなその表面に齧りつく。シャク、と瑞々しい音がして、さっぱりとした香りが口内に広がった。 「―――甘くねぇ…」 「…うん。選ぶの、失敗しちゃったね。仕方ないから、残りは煮詰めてパイでも作ろうか?」 どうやら食べ頃一歩手前だったらしい。酸味の強い果肉をどうにか腹の中に収め、ラグナが低く唸る。ほんの一瞬、泣きそうに瞳を揺らしたジンは、けれど直ぐに表情を繕うと、ごく自然な仕種で兄から顔を背けた。ラグナにのみ向けられる甘い声音が、微かに震えている。 あまり気は進まなかったが、手にした果実をもう一口。食べた女が勧めるくらいだ、エデンに生っていたという禁断の実は、これより遥かに美味かったのだろう。 「ジン」 弟の華奢な手首を捉え、はっと上がった面に唇を寄せる。薄く開かれていたそこに柔く噛み付くと、口の中に残った林檎の実を舌を使ってジンの口内に押し込んだ。隙間無く重なった唇の間で弟のくぐもった声が聞えたが、与えた果肉はほんの一欠片だ。詰まらせるような事も無いだろう。 やがてこくりと鳴った喉に、ジンが林檎を飲み込んだのを知る。何も無い事を確かめるように狭い口内を舌で嬲れば、弟は鼻に掛かった吐息を漏らした。戸惑いがちにラグナのジャケットを掴んでいた指が、もどかしげに服の胸元を掻く。強請るように身を寄せてきたジンに応え、手から零した林檎の代わりに薄い身体をきつく抱きしめた。 『兄さんが悪いんだよ…』 今よりずっと幼く、甘く虚ろな弟の声が、耳の奥に甦る。 未だその言葉の真意はわからずとも、嘘を嫌う弟がそう言うのなら、ラグナにも知らぬ間に重ねた落ち度があったのだろう。 二人で分け合う筈だった原罪に一人塗れ、碧の蛇に囚われていたラグナのイヴ。 ―――お前が望むなら、今からでも同じ罪を共に背負おう。 何者にも騙されず、自らの意思で罪に手を染めたアダムのように。 永遠に失った楽園には戻れずとも、それならば生きてゆける。 生きてゆけると、そう思った。 「Under Heaven Destruction」の和約が「失われた楽園」と知った時の破壊力たるや…(白目) え、アニメ兄弟曲のタイトルがこれってことは、そういう解釈でいいんですよね森P?兄さんがアダムでジンがイヴで、ハザマがイヴを唆す蛇って解釈でいいんですよね?なにそれ萌える、三原色くっそ萌える…(うわ言) 2014.01.04. pixivにアップ 2014.01.07. 加筆修正 |